Apple Time   |   ニューヨーク近郊で障害児を育てる親の会

Apple Time スペシャルニーズを持つ子供達と家族の会

日常生活の紹介 就学前

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希少染色体異常の7歳女児

娘が6ヶ月のときにPT(理学療法)OT(作業療法)Special Instructionが30分×週3回で始まりました。娘は染色体異常なので、フルでサービスを受けることができました。
毎日セラピストか先生がやって来るようになり、生活は一変しました。PTにいたってはFamily Training(家族指導)もあったため、週に一度はセラピストが1時間以上滞在しました。
30分のセッションですが、来る時間に娘を起こしておくために、昼寝をさせたり、早起きさせたり、最初のうちはかなり大変でしたが、親の私も規則正しい生活となり、お客様が来るので部屋もきれいになりました。

娘の障がいがわかるまで、専門科の病院に通ったり、近所の公園に散歩する以外あまり外に出ることもなく、人と接することもなく、だらだらでありながらもストレスのたまった生活をしていました。
でも、何人もの障がい児と関わりのある人が入れ替わり立ち代り来てくれることでかなりの気分転換になりました。

13ヶ月になるとSTが週3回で始まりました。更に忙しくなり、自分の時間もあまり取れず、セラピストの来る時間にすべて合わせなくてはいけなくなりました。少しきつく感じることもありましたが、少しずつ成長を見せてくれる娘のおかげで何とか乗り越える事ができました。

セラピストにも先生にも恵まれ、いろいろな情報を教えてもらいました。
セラピストの苦労話には驚くものもありました。危ないアリアのアパートのエレベーターで襲われ、発見されたときにはかばんの中のおもちゃがエレベーターに散乱していた、ものすごく汚い家で、自分のかばんに入ろうとするゴキブリを払いながらセラピーを施していた、などなど。
普通の子育てをしていたらなかなか知り得ないようなこと、出会えないような人たちと会えるのはいい刺激となりました。

2歳半になると半日学校に行き始めました。自分の手元から離れるのは初めてで、初日は一緒にスクールバスに乗りました。
何校か見学して、庭もあり、一クラスしかないアットホームな感じかもしれないと思って決めた学校だったのに、実際行ってみると、先生たちはカタログをみつめ、携帯電話を使いまくり、無駄話をしながら、子供たちの朝ごはんを片手間にあげている…。

この時点で学校を変えてもよかったのですが、始まったばかりの学校生活。環境が頻繁に変わるのもよくない、暖かくなればあの庭にも出られる、悪いところばかりでもない、セラピストは悪そうでもない、と自分に言い聞かせ通わせました。
気になったので何度かクラスに顔を出しました。歌を歌ったり、室内ジムで遊んだり、クラフトしたりと、やることはやっているようでした。
クリスマスにはサンタクロースがプレゼントを持ってきたり、イースターにはちょっと不気味なうさぎの着ぐるみが来たりと、ある程度の刺激があったと思います。

学校から帰ってくると、お昼ご飯を食べてすぐにセラピストがやって来ます。学校でもセラピーを受け、帰宅してもセラピー。今思えばものすごいハードスケジュールをこなしていました。
それだけたくさんのサービスを受けられるのは本当にありがたいことで、娘の成長もかなり促されたと思います。

3歳になった年の9月からプリスクールに通うことになるため、再び学校探しが始まりました。
今度は小さいところでなく、いろいろな目が光る学校にしました。スクールバスで30分かかる所でしたが、学校のセラピーだけでなくメディカルセラピーも受けられて、プールもある学校に2年間通いました。学校にいる間にプールでアクアセラピーやメディカルセラピーを受け始めたのは2年目からです。

1年目は先生とアシスタントにとても恵まれて、楽しく通いました。8時半にスクールバスがお迎えに来てくれて、3時半まで帰ってこないので、下の娘ともじっくりと時間をとることができました。
学校では天気、日付、曜日などを学び、アート作成をし、歌を歌ったりしていました。週に一度は音楽療法士がやってきて、年間イベントではミニサーカスや小動物園、消防団が来たりと、楽しそうな学校生活でした。セラピーもフルで受けていたので、ちょくちょくクラスから連れ出されていましたが、一人で食べる練習をするためにランチやスナックの間にOTやSTがやってきたりもしました。

このころから、土曜日に音楽療法を始めました。
最初はたくさんの楽器や大きな音に怖がっていましたが、周りのお友達や、セラピスト、ボランティアの高校生に囲まれて時間はかかりましたが、音にも過敏に反応することもなくなり、いろいろな種類の楽器にも触れるようになりました。

2年目でクラスメートに活発な子供が増え、4人の大人(先生一人アシスタント3人)の手もかかるようになりました。
歩けるようになり、いろいろなものを触ったり落としたりする娘はいすにベルト付で座らされていることが多くなっていたように思います。先生たちの大変さがわかっていたので、何も言い出せませんでした。今思えば、ここで言うべきでした。
娘は2年目の途中でで学校に行くのを嫌がるようになりました。バスに乗るのを嫌がる。でも理由がわからない。先生に相談しても、クラスメートが今までにいないタイプで横着だから慣れないのかもしれない、という答えぐらいしか帰ってきませんでした。
もっと追及すればよかったのかもしれないのですが、そうする事によってもっと娘に対して大人の態度が悪くなるかもしれないと思うと出来なかった…。
卒業までそう長くなかったので、なるべくクラスに顔を出すようにしていましたが、娘を守れなかったことは今でもかなり後悔しています。
アメリカでは口に出さないとわかってもらえないので、なるべく自己主張をしたほうが子供のためだと感じました。



    

広汎性発達障害の4歳男児

なかなか言葉の出ない息子は、一歳半から週に一度のST(言語療法)が始まりました。
そしてSTの先生からのアドバイスで、二歳からは週に一度のOT(作業療法)も開始。

セラピーは英語ですが、訓練というよりも遊びの延長といった感じだったので、言葉の違いは気にせず楽しくやっていたようです。
当時は幼稚園に通える年齢ではなかったので、自宅にセラピストさんが来てくれていました。
自宅に来るので、当然マンツーマンです。

二歳半頃に診断名が出て、自宅でさらに密度の濃いセラピーを受けるか、通学するかを選択する事になり、他のお子さんと接した方がいい刺激になるのではないかと思い、通学を選択しました。
日本語の通学施設はないため英語のみの環境でしたが、元々英語でのセラピーを受けていた事もあり、混乱もなくすんなりと入っていけたように思います。

四歳になった現在は、朝8時半から午後2時半まで、現地の障害児専門のプリスクール(幼稚園)に通っています。
未就学児が日本語で通える障害児専門施設がないため、全て英語の環境ですが、運良く日本語のスピーチセラピストさんが来てくださる事になり、週4回、日本語のSTを受けています。
また、週に2回のOTも続けています。

セラピーに関しては、通常のクラスから離れて行ないます。
他のお子さんと一緒に受けるセラピーもありますが、基本は一対一です。
通常のクラスは、先生一人につき生徒が2人くらい。
お子さんの状態によっては、補助の方がついてくださり、ほぼ一対一になる場合もあります。

ミニ遠足のような校外学習も時々あります。
先日もりんご狩りに行って、りんごを山ほど持って帰って来ました。
ハロウィンやクリスマスのような行事の時は、学校でミニパーティーです。アメリカらしいですよね。

学校が長い休みの時は、ご近所の方がファミリーデイケア(家庭保育園)を経営しているので、時々お世話になっています。
こちらも英語のみですが、自由に遊ばせてくれるので楽しいらしく、息子の好きな場所の一つです。

近いうちに子供達が習い事を始める予定なので、楽しく通ってくれるようになる事が今の一番の目標です。
眠っていた才能が開花!なんて事にならないかしら?と、ほんのぴょっぴり期待をしつつ…。



     

脳性麻痺の3歳男児

息子の発達に不安を感じ始めたのは、8ヶ月になった頃でした。
当時はまだ日本にいたのですが、渡米直前だったため、アメリカの病院で詳しく調べてもらうようにと言われ、こちらにやって来ました。

当時住んでいたのはニューヨーク州ではなく別の地方だったのですが、現地のファミリードクターにかかったところ1歳まで様子をみようと言われ、そのまま様子を見ていました。

しかし1歳過ぎてからも様子は変わらず、やはり大きな病院で診てもらった方がいい、となりました。
ところが大学病院の発達専門医は、なんと7ヶ月待ち!
1歳まで待たずに、専門医の予約だけでもしておけば良かったと後悔しました。
でもリハビリは専門医にかからなくても開始できるので、始める事ができました。

本格的にリハビリが開始されてからは、アメリカのすごさを目の当たりにしたような気がします。
こちらでは2歳以下の子供は自宅でリハビリを受けるので、体の不自由な息子を連れて通う必要がないのはとてもありがたかったです。
自宅にさまざまなセラピストさんが出入りするので大変な面もありますが、家にある物を生かしたやり方を教えてもらえるので、生活に密着した訓練を受ける事ができます。
必要な装具や歩行器などは、専用の物を公費で用意してくださいました。

普段の外出は、大変な事もあります。
アメリカというとバリアフリーの印象があったのですが、エレベーターの整備などは意外とされておらず、階段やエスカレーターしかない所も多いので、車椅子が手放せない息子を連れて行けない場所もあります。
エレベーターの数などは、日本の方が進んでいるな、と思う事もあります。
しかしアメリカの面白いところは、困っている人がいると、手を貸してくれる人が多いのです。
通りすがりの人達が、車椅子や荷物を分担して運んでくださった事もあります。
その分担しあった人同士も、たまたまその場に居合わせた見ず知らずの人達。皆さんの温かさに感激しました。

温かい人もたくさんいる半面、がっかりする事件もあるのですが。
息子をリハビリ施設に通わせる事になり、気に入った学校に空きがあったのでコーディネーターさんに入学をお願いしたのですが、いくら待っても連絡が来ず、さすがにおかしいと思い問い合わせたところ、入学手続きが全く進んでいなかったのです。
しかも、空いていた枠にはもう違うお子さんが入ってしまいました、と。

結果的には息子も入れて頂いたのですが、忘れられない事件です。
大事な事は何度も確認した方がいいと、実感した出来事でした。

楽しかったり嬉しかったり、時々腹が立ったり、色々な経験をさせてもらった土地を離れ、新たにNY近郊に引っ越して来ました。
こちらではどんな出会いや事件があるのか、期待と心配が半分ずつの現在。
これからの生活が楽しみです。



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